(H24.10/10)
高雄型三番艦として建造された鳥海(ちょうかい)、軍縮会議の制約の中で最大限の20.3センチ主砲10門搭載、四連装魚雷発射管4基搭載の重武装で、艦隊の旗艦としての機能も搭載した重巡。
多大なる犠牲を出した「レイテ沖海戦」、海軍最大である栗田艦隊32隻が出撃、内高雄型4隻(愛宕が旗艦)。しかしパラワン水道にて敵潜水艦の魚雷により、愛宕、麻耶が沈没、高雄は大破。シブヤン海に入ったところで、戦艦武蔵が魚雷20発、爆弾10発以上を受けて沈没。さらにサマール島沖にて、鳥海は敵航空機80機の来襲を受けて沈没。
おとりとなった小沢艦隊、全滅した西村艦隊の犠牲にも関わらず、レイテ直前まで辿りついた栗田艦隊・・・しかし目前にて作戦中止「謎の反転」をして本土へ撤退。もはや、艦修理の物資も不足し、燃料も無く、大艦隊での出撃は不可能となり、昭和19年10月、この作戦にて、帝国海軍は立ち直れなくなり壊滅状態となる。
写真は鳥海で、1963~64年に日本模型より連合艦隊1/500シリーズとして発売されました。大和、武蔵、陸奥、伊勢、高雄、鳥海、麻耶、愛宕と、当時としては
超精密を誇り人気のあったキットです。現在、重巡高雄型4種、妙高型4種として再販されています。1/700のウオーターラインシリーズと比べ安価(2200円位)で「城郭を思わす様な巨大な艦橋、巡洋艦独特のスマートなシルエット」また艦底付のためボリューム感があり、手軽に楽しめるシリーズです。
古い金型にも拘わらず、約50年前のキットを再販するニチモ(日本模型)に大拍手を贈りたいです・・・・・・・・1965年頃のレースカーシリーズも再販してくれたらなあ~!
VENUS 2012.10.10
写真は、昭和二十年八月一日、九州屋久島上空、紫電改でB24編隊に向かう、第三四三海軍航空隊、三〇一飛行分隊長、菅野直大尉機。 ※ハセガワ 1/48キット
紫電改は海軍最後の戦闘機として期待されましたが、誉エンジン不調による開発の遅れ等もあり配備が遅れ、紫電改の部隊、第三四三空剣部隊が初陣に出られる様になったのは、昭和二十年三月十九日の事でした。
唯一、P51Dムスタング、F6Fグラマン、F4Uコルセアと戦える性能を持った
戦闘機であり華々しい活躍もしましたが、消耗度も激しく、次々と若者が大空に散って行きました。菅野大尉もこの日、主翼の銃身内で機銃弾が炸裂し、壮烈なる戦死を
遂げるのでした・・・・・・・僅か終戦2週間の事です。
紫電改は海軍最後の機体・馬力・火力ともに強靭な戦闘機でしたが、戦争末期の燃料・物資他、質の低下により、所定の性能を発揮出きずに終焉する事となったのです。
終戦時には陸海の多くの戦闘機が性能テストのためアメリカに渡りました。
戦後、テストに当たったアメリカのパイロットはこう言ってのけました。
「模擬空中戦をやったが、どの米戦闘機も紫電改には勝てなかったんだよ・・・・」
VENUS 2012.10/6
私が小学生の頃は少年雑誌「少年サンデー・マガジン・キング」に夢中で、毎日の様に読みまくりました。当時の雑誌はグラビア等は皆無で、表紙の絵柄と連携して巻頭
には20ページ位の特集ページ(図面付解説)が組まれるのでした。1960年代にはその殆どが「戦争兵器主体」であり、知識に飢えた少年たちは勉強そっちのけで、
読みあさるのでした。
特集のタイトルとしては「戦艦大和の秘密」「ゼロ戦の秘密」等、謎めいたものが多く、ゼロ戦の格闘戦法を何種類も細かに図入りで解説すると言う、今では考えられない専門的なものでした。
また、マンガも「ゼロ戦レッド、大空のちかい(隼)、ゼロ戦太郎・はやと、紫電改の
タカ」と戦闘機ものが多く、合わせてテレビのアニメでも放送され、ブームは一気に高まり、当然の結果として、プラモデルを作り「天井から飛行機を吊るす」「プール
で軍艦や潜水艦を走らせる」のが流行ったのです。 ※1962年~1965年
「戦争の悲惨さを知らない」で軍艦や戦闘機のカッコよさに憧れてた少年が沢山いたのです。
VENUS 2012.10/5